大平玄三氏追悼する

 先日10月13日は、津南町町議会議員である大平玄三氏の葬儀に参列してきまた。同町龍源寺において、2時間に及ぶ葬儀は、6人の僧侶による厳粛なる式典であり、この地の独自の風土を強く感じる事ができました。

 玄三氏とのお付き合いは、かれこれ14~5年くらいになると思います。弊社がようやく高崎市に展示場を開設し、それなりに仕事が増えてきたため、津南町の叔父の知人である山田さんを介し、協力をお願いする事になりました。
 最初に会ったときの印象は、越後訛りのニコニコ笑顔の話し方で、実直な棟梁で信頼でき、頼もしく感じました。

 大平社長(当時)は、家つくりに研究熱心な方で、初対面の時からいろいろと話が弾みました。
そのとき大平社長自らが、まだ開発したばかりの『在来パネル工法』に即興味を抱かされ、長野県御代田町のF邸での採用の運びとなり、早速施工となりました。
 このF邸での施工が『在来パネル工法』から、弊社独自の施工方法を加え『耐震気密パネル』へ、そして『耐震気密エアーパネル』に進化し、現在に至っております。

 大平社長による偉大な『在来パネル工法』の発明は、在来木軸工法にツーバイフォーのパネルを組み合わせる、画期的な工法でありながら、構造材の材料費が2倍近くもかかる施工方法でした。
 建築会社が余分な資材を使うこの工法を手がけたのは、新潟県の山村である津南町と言う特殊な土地柄にあると思います。この地での主な産業と言えば、農業と林業、そして建築土木が主たる仕事で、なかでも建築関係は主要な業種です。
 
 津南町は名だたる豪雪地帯でも指折りです。半年近くの降雪期に、津南町周辺での現場工事は不可能なため、主に東京や千葉県方面への出稼ぎ仕事になります。
 『在来パネル工法』は、このような出稼ぎ体質の条件下で、なるべく現場での作業を少なくし、社員を少しでも津南町での作業ができるようにと、大平社長が考案し開発されました。

 5~6ヶ月に及ぶ出稼ぎ期間のうち、職人一人ひとりのために、一日でも余計に津南町での作業をと思う、職人への思いやりの気持から、結果としては現場作業の効率化と言う、まったく新しい発想の発端をつくりました。

 『在来パネル工法』は、弊社独自の施工方法を加え『耐震気密パネル』へ、そして、断熱材をまったく使わない、空気だけで高性能な断熱性能を発揮できる『耐震気密エアーパネル』に進化できました。

 『耐震気密エアーパネル』の基礎をつくっていただきました、大平玄三氏の功績を称えると共に心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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by hokushin-f | 2005-10-19 17:59 | 地震に強い構造
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